2025/02/28 更新

写真a

コイズミ ユウト
小泉 勇人
KOIZUMI YUTO
所属
リベラルアーツ研究教育院 准教授
職名
准教授
外部リンク

研究キーワード

  • 16世紀イギリス文学、シェイクスピア劇の映画化、学術的文章教育

論文

  • Adapting Shakespeare's Henriad and Reconsidering Misogyny: Narcolepsy and Nostalgia in Gus Van Sant's My Own Private Idaho 査読

    Yuto Koizumi

    English Literature   ( No. 105 )   2019年3月

     詳細を見る

  • Shakespeare Film Adaptations Reflecting Contemporary Social Issues: Shift and Dynamism of the Playwright’s Reconsideration from 1980 to 2015 査読

    Yuto Koizumi

    2019年2月

     詳細を見る

  • “If you're wrong, I'm right”ーThank You for Smoking(05)から学ぶ、“spin”の技術ー 査読

    小泉勇人

    2018年6月

     詳細を見る

  • 学びのコミュニティシステムにおける大学院生アシスタントによるピアレビュー実践 査読

    室田真男, 林直亨, 小泉勇人, 鈴木悠太, 佐久間邦弘

    第24回大学教育研究フォーラム発表論文集   p. 122   2018年3月

     詳細を見る

  • Why Cymbeline in the Twenty-First Century?: Media Villainy, 'Revenge Porn', and Social Media in Michael Almereyda's Film Adaptation 査読

    Yuto Koizumi

    FLS Studies in Languages and Cultures   ( No. 10 )   pp. 71 - 100   2018年3月

     詳細を見る

  • The Revelation of Murder as a Reflection of Modern Gothic Japan in Kiyoshi Kurosawa’s Cure 査読

    Yuto Koizumi

    2018年1月

     詳細を見る

    The film, Cure (1997), a psychological thriller directed by Kiyoshi Kurosawa, demonstrates a brilliant battle of wits. Pitting a police inspector named Takabe (Yakusyo Koji) against an enigmatic drifter by the name of Mamiya (Masato Hagiwara), the latter has the ability to hypnotize and tempt others to commit murder as a means to cure their frustration. While taking the form of a thriller featuring a unique psychopathic serial killer, Kurosawa presents a documentary-like perspective. In the film, people living in Tokyo during the 1990s are depicted as deeply frustrated. Their silent troubles are reflected in the poor communication between a husband and wife, fatigue experienced by an overloaded worker, and finally, the suppressed feeling by a female who is stymied by the lack of professional advancement. <br />
    As a master of hypnotism, the character of Mamiya is one of the most unique manipulators in all of Japanese film history. Kurosawa constructs a persona that reveals a strategically depressive point of view which posits that, anybody could murder his wife, colleague, or the opposite sex, if they are close, as long as they feel unconsciously stressed for them. This presentation seeks to examine how terror and the Japanese modern Gothic are presented in Kurosawa’s screenplay. Thus, the visual style will be analysed through an examination of the character Mamiya’s uncanny ability to manipulate others through the use of language. In essence, this study will also accentuate how the unfathomable depth of frustration of living in urban society plays out in the experience of modern Tokyo.

    researchmap

  • ウディ・アレン映画で英語教育のススメ —Magic in the Moonlightにおける魔法の正体— 査読

    小泉勇人

    2017年12月

     詳細を見る

    映画を使用する英語授業においては、どのような作品を選択し、どの場面を学習に用いれば良いかという課題がある。この課題は、学習者の興味関心を高め、学習動機付け強化の可能性を探る上で取り組み続ける意義があるだろう。授業の目的により作品/場面選択の多様性がある一方で、本発表が作品/場面選択の基準とするのは、英語学習への効果のみならず、学習者にとって知的な刺激となる問(学術的な問)が投げかけられている作品であるか、そしてその作品における物語構造に極めて重要な意味を持つ場面であるかどうかである。その基準を踏まえた上で本発表が授業への導入を提案する作品は、ウディ・アレン監督によって製作された一連の作品群である。発表ではまず、多くのアレン監督作品に共通する特質を分析しながら、映画英語教育においてアレン作品を採用する意義について論じる。次にケーススタディとして『マジック・イン・ムーンライト』(Magic in the Moonlight, 2014)を取り上げる。この作品を授業で用いる際にどの場面を選択できるか、どのように物語の分析を行い、それを適宜紹介することで学生の興味関心を高めることができるのかを検討する。とりわけここでは、この作品を通じてアレンが観客側に投げかける刺激的な問の一つ、「果たして優れているのは、人間の知恵の結晶とも言える奇術/手品か、生まれついての才能である魔法/霊能力のどちらか」を中心に論じる。

    researchmap

  • 『空騒ぎ』と音楽―Joss Whedon監督による映画版(2012)も交えて― 査読

    小泉勇人

    2017年12月

     詳細を見る

    本発表では、『空騒ぎ』における小唄の劇的機能を踏まえ、Joss Whedon監督による映画版『空騒ぎ』の該当場面を分析し、映像的特徴を明らかにした。アメコミ映画監督という自己イメージを逆手に取り、白黒映画の小品として『空騒ぎ』を映像化したWhedonは、小唄“sigh no more ladies”の披露をパーティの場面に配置している。Jazz/ボサノバ風メロディの採用、1920年代的な場作り、固定/手持ちカメラによるクローズアップ~ミディアムショットの撮影手法により構築された映像は、先行作であるケネス・ブラナー版がイタリアの庭園を舞台にダイナミックなカメラワークを採用したハリウッド的演出とは対照的である。加えて、参加者達が親密になっていく過程をフレームに収めつつ“sigh no more ladies…/ Men were deceivers ever…”と当の小唄を流し、映像と歌詞を同期させる手法からは、シェイクスピア劇の小唄を映画的演出に翻案して蘇らせるWhedonの映画的演出力が垣間見れる。

    researchmap

  • 映画から社会的なトピックを引き出す:Whiplash (2014)を介したエッセイライティング教育 査読

    小泉勇人

    2017年11月

     詳細を見る

    映画を導入する英語授業は、英作文教育においてどのような有効性を見出せるであろうか。とりわけ、(和文英訳というよりは) Introduction-Body paragraphs-Conclusionの構築に基づいて主張を述べるエッセイライティングの指導に研究対象を絞った場合、この有用性のありかを見出す試みはより顕著な課題であるように思われる。そこで本研究が注目するのは、映画が観客に差し出してくる「問」である。仮に、そもそも個々の映画には製作者のイデオロギーないしは観客への社会的メッセージが込められているとしよう。そのメッセージは、物語を通じて直接的というよりは間接的に、「答え」というよりは「問」の形で観客に差し出される場合も多い。そのように、賛否両論、意見が分かれる議論を問うてくる映画を授業で提示できるのであれば、エッセイライティングのためのトピックとして成立しうると本研究は考える。具体的な作品として、今回はWhiplash (2014)を取り上げる。例えば、この映画が観客に問うているのが「教師は学生の将来を見据えた場合、とても厳しく指導にあたるべきであるか?」(Should teachers be very strict with their students for their future success?)という問題であると仮定してみよう。映画を鑑賞する時間も取りつつ、この問を受講者に課した場合、彼らの思考はどのような刺激を受け、そのライティング活動はどこまで促進されるであろうか。我々は本発表を通じ、具体的なレベルにおいてはWhiplash (2014)が投げかける社会的な問を丁寧に読み解きつつ、抽象的なレベルにおいては、エッセイライティングに用いるのにふさわしい問をどのように個々の映画に見出しうるのか、その方法論も検討したい。

    researchmap

  • シェイクスピア劇の教養を映画英語教育に活かす― Dead Poets Society (1989)における『真夏の夜の夢』の引用― 査読

    小泉勇人

    2017年3月

     詳細を見る

  • 007映画の英語 ー英語クラスにおけるSkyfallの導入実践例からー 査読

    小泉勇人

    2017年3月

     詳細を見る

    007映画は果たして、この21世紀に観るにふさわしい映画であろうか。ましてや、英語の授業で取り上げるのに適切な映画であろうか。同シリーズは言うまでもなく、第1作目Dr. No (1962)から第24作目にある最新作Spector (2015)に至るまで50年以上続いてきた息の長いフランチャイズ映画である。時代を経ても基本設定は変わらず、MI6所属スパイであるジュイムズ・ボンドが世界を股にかけて活躍する娯楽活劇である。その一方、近年においては時代遅れのスパイ映画とも揶揄されることも多い。例えば、スペクタクル重視で御都合主義の脚本、男性優位主義的な世界観、女性蔑視ともとれる台詞や描写を指摘されることもあり、深い人間ドラマや芸術性に欠けたB級映画として認識されがちなシリーズでもある。本発表では、上記の文脈ーとりわけシリーズに底流する男性優位主義的傾向ーを踏まえた上で、第23作目にあたる007 Skyfall(2012)の特異性・革新性について、英語教材化という観点から論じる。この作品固有の革新性を認識しているかどうかは、英語教材化に際して次の二点、①学生に取り組ませる場面の選択(特に、単なる会話例というより物語上の文脈を踏まえて授業を行う場合)②講師による補足説明の中身、に大きく影響する。加えて、本発表の内容は、女子大学の必修英語クラスにおいてSkyfallを導入した実践例に基づく。学生間の007映画の知識の差(シリーズ映画ゆえの「一見さんお断り」の雰囲気)、ジェンダーの差異からくる趣向の違い(「中学生男子が好きそうな」アクション映画)を乗り越え、Skyfallが21世紀を生きる学生の興味を幅広くひきつける英語教材となりうる展望を明らかにしたい。

    researchmap

▼全件表示